カテゴリー: 海外の雑誌

  • Trouser Press(1974–1984)— セックス・ピストルズをアメリカに届けた誌

    Trouser Press(1974–1984)— セックス・ピストルズをアメリカに届けた誌

    1970年代後半、レコードショップの片隅で、まだ誰も名を知らないバンドのレビューに熱狂する若者たちがいた。彼らの手元に必ずあった、あの尖った誌面は、一体なぜこれほどまでに熱狂を呼び起こしたのか?

    1974年にアメリカで産声を上げたTrouser Pressは、単なる音楽誌の枠組みを逸脱していた。創刊初期、Robert ChristgauやGreil Marcusといった、音楽を文化人類学的な視点で解剖する批評家たちが、その誌面に血を通わせた。彼らが記述したのは、単なる流行の追随ではない。1976年のCBGBにおけるRamonesの登場や、1977年のSex Pistolsによるロンドン・パンクの爆発、それらすべてを、音楽史の転換点として冷徹かつ情熱的に記録したのである。誌名は、当時のモードやサブカルチャーの文脈を象徴しており、その内容はパンク・ロックのみならず、ニュー・ウェイヴ、ポストパンク、さらにはインディペンデントな映画や文学の領域にまで及んでいた。

    この雑誌の真価は、ジャンルの境界を破壊した点にある。例えば、1978年のニューヨーク・シーンにおけるNo Waveの混沌とした実験性を、単なるノイズとして切り捨てず、文学的な文脈で捉え直した記述は、後のインディー・ロックの美学を決定づけた。これは、当時の音楽誌が陥りがちだった「ジャンル分けによるラベリング」へのアンチテーゼであった。Trouser Pressの批評家たちは、音楽を音響的な現象としてだけでなく、社会的な抵抗の手段、あるいは知的な試行錯誤として捉えていた。この視点は、1980年代初頭のポストパンク・ムーブメントにおける、Joy DivisionやThe Fallといったバンドの精神的支柱となった。彼らの音楽が持つ、冷徹な知性と破壊衝動の共存を、これほどまでに見事に言語化した媒体は他に存在しない。

    Trouser Pressが提示した、音楽を文化の断片として読み解く手法は、後のオルタナティヴ・ロックの隆盛を支えた。1990年代のインディー・シーンにおけるSonic YouthやPavementの評価にも、この雑誌が築き上げた「批評的文脈」の残響を聴き取ることができる。

  • Terrorizer(1993–2017)— デスメタル・ブラックメタル専門誌として24年間

    Terrorizer(1993–2017)— デスメタル・ブラックメタル専門誌として24年間

    深夜のスタジオで、Napalm Deathの『Scum』の低域がスピーカーを震わせる瞬間、突如として耳に飛び込んできた『Terrorizer』のロゴが、なぜこれほどまでに強烈な記号として脳裏に刻まれているのか?

    1989年、イギリスの音楽シーンにおいて、既存のヘヴィメタル誌がカバーしきれなかった極限の破壊衝動を言語化するために『Terrorizer』は誕生した。創刊当時は『Kerrang!』誌が主流であったが、彼らがカバーするのは主にNWOBHMの流れを汲むメロディックな要素であった。しかし、1990年代初頭、Florida Death Metalの台頭とともにMorbid AngelやDeicideといったバンドが世界を席巻する中、『Terrorizer』はGrindcoreやDoom Metal、そして極北のBlack Metalといった、より過激で、よりマニアックな領域へ踏み込んだ。誌面は単なる音楽レビューの枠を超え、極限派メタルの独自の美学を定義する聖典としての地位を確立したのである。

    この雑誌の特筆すべき点は、音楽を単なる音響現象としてではなく、社会的な破壊衝動やサブカルチャーの文脈として捉えた点にある。例えば、1990年代半ばのGrindcoreシーンにおいて、彼らは単にドラムのブラストビートを称賛するだけでなく、その背後にあるパンク・ロックの倫理観や、アナーキズムの思想を誌面から漂わせた。これは、当時の音楽雑誌が商業的な成功を優先してソフトな内容に傾倒していく中で、極めて稀有なカウンター・カルチャーとしての役割を果たしたことを意味する。また、映像作品やアートワーク、さらには極端な身体的表現に至るまで、その境界線を拡張し続けた。この「破壊の美学」の提示は、音楽の枠を超え、当時のエクストリーム・ミュージックに付随する視覚文化そのものを形成する一翼を担ったと言える。

    誌面をめくるたびに突きつけられる、剥き出しの暴力性と芸術性の混淆。その熱量は、2010年代に台頭したSlam Death Metalの隆盛や、近年のBlackened Death Metalの再評価においても、常にその参照点として存在し続けている。

  • SPIN(1985–2012)— Rolling Stoneが無視したバンドを全力で愛した誌

    SPIN(1985–2012)— Rolling Stoneが無視したバンドを全力で愛した誌

    1990年代の音楽シーンにおいて、ある雑誌の表紙をめくることは、次なる時代の到来を予感することと同義であった。なぜ『SPIN』は、単なる音楽誌の枠を超え、文化の羅針盤となり得たのか?

    1985年、ニューヨークの熱気の中で産声を上げた『SPIN』は、従来のロック誌が固執していた権威主義的な評価軸を破壊した。創刊から間もない時期、彼らが焦点を当てたのは、主流のチャートには未だ反映されていない、しかし確実に地殻変動を起こそうとしているアンダーグラウンドの動きである。1991年の『Nevermind』リリースに際し、彼らが提示したNirvanaのビジュアルと文脈は、単なる新星の紹介に留まらなかった。それは、80年代のヘア・メタルが終焉を迎え、シアトルから吹き荒れるグランジの嵐が、ポップ・カルチャーの構造そのものを書き換える瞬間を、最も鮮明に記録したのである。

    『SPIN』の真価は、音楽というジャンルの境界線を、政治や映画、さらにはサブカルチャー全般へと拡張した点にある。1990年代半ば、彼らは音楽的な批評に留まらず、当時の社会情勢やジェンダー、人種問題といった文脈を、ロック・ミュージックの文脈と分かちがたく結びつけて論じた。例えば、Radioheadの『OK Computer』が提示したディストピア的な世界観を、当時のテクノロジーの進化や社会不安と絡めて記述した記事は、音楽誌の批評が社会学的な価値を持ち得ることを証明した。また、パンク・ロックの精神を継承しつつ、インディー・ロックの旗手であるThe Strokesを、2001年のニューヨーク・シーンの再定義として扱った手腕も、彼らが常に「今、何が起きているか」を捉える嗅覚を持っていた証左である。

    誌面の質感、インクの匂い、そして紙面から漂う時代の緊張感。それは、デジタル化が進む現代において、一つの失われた記録の断片である。1990年代に彼らが刻んだ足跡は、後のSonic YouthやBjörkといったアーティストが歩んだ、ジャンルレスな表現の拡大に、決定的な影響を与え続けている。

  • Maximum Rocknroll(1982–2019)— 37年間、商業広告を拒否し続けたDIYパンク誌

    Maximum Rocknroll(1982–2019)— 37年間、商業広告を拒否し続けたDIYパンク誌

    サンフランシスコの路地裏から、世界中のパンク・シーンの地図を書き換えてきた一冊の雑誌がある。なぜ、広告を一切排除したその紙片が、これほどまでに強固なネットワークを構築できたのか?

    1982年、ティム・ヨフマント(Tim Yohfmt)らによって創刊された『Maximum Rocknroll』(以下MRR)は、単なる音楽雑誌の枠を超えた。それは、パンク・ハードコアという文化圏における「聖書」であり、同時に「検閲官」でもあった。1980年代、USハードコアの勃興とともに、MRRはBad ReligionやDead Kennedys、Minor Threatといったバンドの動向を、現地の生々しい熱量とともに世界へ伝播させた。その役割は、単なる情報の伝達に留まらない。独自のレーベル、SST RecordsやDischord Recordsといった、DIY精神を体現するインディペンデント・レーベルの活動を、誌面を通じて正当な文脈へと昇華させたのである。

    MRRの真髄は、その極端なまでの「非営利性」にある。誌面には一切の商業広告が掲載されない。これは、資本主義的な広告主の意向が、音楽的評価や政治的メッセージを歪めることを徹底的に拒絶した結果である。この姿勢は、音楽シーンのみならず、1980年代のアンダーグラウンドな政治運動や、DIY的な自主制作プリント(Zine)文化の規範となった。例えば、1980年代後半のパンク・シーンにおける、自主レーベルによるレコードの流通網構築は、MRRが提供する「カタログ」と「レビュー」の信頼性に支えられていた。音楽的な良し悪しだけでなく、バンドの政治的スタンスや、音楽制作における倫理観までもが、MRRの批評の対象となったのだ。この「厳格な審美眼」こそが、読者とアーティストの間に、広告に依存しない強固な信頼関係を築き上げた。

    2017年、MRRは長年続いた定期刊行の終了を告げた。しかし、その精神は死んでいない。1990年代のAll、あるいは2000年代のRise Againstといった、パンクの系譜を継ぐバンドたちの根底には、常にMRRが提示した「自律的な表現」という哲学が流れている。その炎は、現代のデジタル・ネットワークにおけるDIY精神へと、形を変えて受け継がれている。

  • Kerrang!(1981–)

    Kerrang!(1981–)

    1980年代初頭、ロンドンのレコードショップの棚を埋め尽くしていた、あの攻撃的なグラフィックと鮮烈な見出し。なぜKerrang!は、これほどまでにロック・サブカルチャーの「心臓部」であり続けられたのか?

    1981年、イギリスにおいてKerrang!は産声を上げた。NWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)の熱狂が最高潮に達していたこの時期、雑誌は単なる情報誌ではなく、ジャンルの勢力図を決定づけるマニフェストとしての役割を担った。Iron MaidenやSaxonといったバンドが、いかにしてロンドンの地下クラブから世界的なスタジアム・アクトへと駆け上がったか、その軌跡はすべてこの誌面の変遷に刻まれている。1980年代後半には、スラッシュメタルという新たな潮流が台頭し、Metallicaの台頭をいち早く捉えた点においても、Kerrang!のジャーナリズムは極めて正確であった。誌面は単なる音楽レビューに留まらず、パンクやハードコア、さらには90年代のグランジ・ムーブメントに至るまで、常にその時代の最前線にある「音」を、独自の視点で切り取ってきたのである。

    Kerrang!の真価は、音楽の枠組みを超えたカルチャーの衝突を記録した点にある。例えば、1990年代中盤、シアトルのグランジ・ムーブメントが世界を席巻した際、彼らは単に音楽的な側面だけでなく、その背後にあるファッションや、映画『Trainspotting』に象徴されるような、当時の若者たちの退廃的かつリアルなライフスタイルをも誌面に融合させた。これは、単なる音楽専門誌には不可能な、サブカルチャーのドキュメンテーションであった。また、1990年代後半のニューメタル・ブームにおいては、Kerrang!はKornやSlipknotといったバンドを、ジャンルの境界を破壊する新たな旗手として提示した。この時期の誌面は、音楽的なディテールと、社会的な不穏さが入り混じった、極めて濃密な熱量に満ちていた。音楽、映像、そしてストリート・ファッションが、一つの巨大なうねりとなって押し寄せる様を、彼らは常に特等席から目撃していたのだ。

    Kerrang!が提示し続けたのは、常に「今、ここにある衝動」である。その影響は、2000年代のポスト・ハードコア・シーンにおけるBring Me The Horizonの躍進や、近年のメタルコア・ムーブメントにおけるアーティストたちの価値観形成にも、明確な系譜として受け継がれている。

  • Creem(1969–1989)

    Creem(1969–1989)

    1970年代のデトロイト、ライブハウスから漂う汗と安物のビール、そして耳を劈くフィードバックノイズ。その混沌とした熱狂を、最も卑猥で、最も真実味のある言葉で切り取ったメディアは他に存在しただろうか。

    1969年、デトロイトにおいて創刊された『Creem』は、既存の音楽誌が守っていた「高尚な批評」という虚飾を、文字通り粉砕した。創刊者であるDennis Dennisは、デトロイト・ロックの旗手であるMC5やIggy Popの、泥臭くも暴力的なエネルギーを、洗練された文体ではなく、路地裏の喧嘩のような粗野な言葉で記述した。当時の『Rolling Stone』が、ロックを社会現象や芸術として分析しようとしていたのに対し、『Creem』はロックを、衝動と欲望の塊として提示したのである。その文体は、後のゴンゾ・ジャーナリズムにも通じる、書き手の主観と偏見に満ちたものであった。

    『Creem』の真価は、単なる音楽紹介に留まらなかった。それは、パンク・ロックという新たな文化の種火を、文字を通じて世界へ拡散させる役割を担った。1977年のロンドン・パンク・ムーブメントにおいて、Sex PistolsやThe Clashといったバンドの破壊的な精神性は、『Creem』がデトロイトで提示してきた「既存価値の破壊」という文脈と完全に合致していた。誌面を飾る過激なグラフィックや、読者を挑発するようなユーモア、そして音楽家たちの醜悪な側面さえも隠さない姿勢は、後の音楽メディアにおける「リアリズム」の基準を書き換えた。この雑誌が示したのは、音楽を語ることは、その背後にある退廃的な生活様式や、社会への反逆心そのものを記述することだという事実である。

    この雑誌が提示した、美化を拒絶する冷徹な視点は、1980年代のハードコア・パンクや、その後のグランジ・ムーブメントにおける「ロー・ファイ」な美学の精神的支柱となった。Kurt CobainがNirvanaを通じて示した、剥き出しの感情とDIY精神の系譜には、間違いなく『Creem』がデトロイトの路上で鳴らした轟音の残響が刻まれている。

  • VICE(1994–2017)— タブーを取材する、それだけで世界制覇した誌

    VICE(1994–2017)— タブーを取材する、それだけで世界制覇した誌

    街の喧騒から切り離された、暴力と美学が混在する映像。
    画面の向こう側で、一体何が起きているのか?

    1994年、モントリオール。
    Shane Smithらが産声を上げたVICEは、当初、音楽や映画を扱うローカルな雑誌に過ぎなかった。
    しかし、彼らのレンズは次第に、既存のメディアが目を背ける「境界線」へと向けられていく。

    2000年代初頭、世界を覆った対テロ戦争の影。
    ジャーナリストたちは、安全なスタジオを捨て、紛争地へと足を踏み入れた。
    そこには、洗練された報道番組には決して映らない、生々しい泥と血の匂いがあった。

    これは単なる報道ではない。
    ファッション、音楽、そして政治。
    それらを分断する壁を、Gozoスタイルの過激な視点で破壊していくプロセスなのだ。

    ある時、VICEのカメラは、スケートボードのサブカルチャーと、中東の紛争地を、同じ熱量で繋ぎ合わせた。
    ストリートの反骨精神と、地政学的な混乱。
    一見、無関係に見える二つの要素が、VICEというフィルターを通すことで、一つの「カルチャー」として統合されていく。

    この手法は、後のデジタルメディアのあり方を決定づけた。
    彼らが提示したのは、客観性という名の「安全な距離」の放棄。
    当事者の息遣いを感じさせる、極めて主観的な真実の断片。
    その衝動こそが、Z世代の感性と共鳴したというわけだ。

    しかし、資本の論理は容赦なく、2018年にはAxel Springer社による買収という転換点を迎える。
    カウンターカルチャーの象徴が、巨大メディアの構造に組み込まれていく。
    その変遷の先に、真の自由は存在し得たのだろうか。

    2019年、VICEはデジタルファーストへの舵を切る。
    メディアの定義が、紙からピクセルへと完全に移行した瞬間であった。

  • Film Threat(1985–2012)

    Film Threat(1985–2012)

    スクリーンの端に映り込む、粗い粒子と過剰な色彩。
    誰もが映画を「鑑賞」の対象として見ていた時代に、なぜこれほどまでに「毒」を必要としたのだろうか。

    1990年代初向、アメリカのビデオ・レンタル・ストアの棚には、まだ見ぬ恐怖と興奮が詰まっていた。
    その混沌とした文化の最前線に、一冊の雑誌があった。
    『Film Threat』。
    それは、メジャーな映画批評誌が無視する、低予算のホラーやジャンル映画の聖域を記述するための武器だった。

    当時の映画界は、大きな変革期にあった。
    インディペンデントな制作手法が、デジタル技術の黎明期と交差する。
    『Film Threat』が提示したのは、単なる映画レビューではない。
    それは、パンク・ロックのDIY精神と、スケート・パークの荒々しい視覚言語を、映画批評へと接続する試みだった。
    批評家たちは、映画を「高尚な芸術」としてではなく、ストリートの「現象」として捉え直したのだ。

    僕は、ある古いビデオ・ショップの片隅で、擦り切れた『Film Threat』のバックナンバーを見つけたことがある。
    ページをめくると、そこには、当時のカルト映画ファンが共有していた、一種の「共犯関係」が刻まれていた。
    それは、映画のストーリーを語る以上に、その映画が持つ「質感」や「匂い」を、グラフィックを通じて伝えようとする衝動。
    ファッションが、着ることでアイデンティティを表明するのと同様、この雑誌を手に取ることは、特定のサブカルチャーに属しているという、静かな宣誓だった。
    映画という虚構と、ストリートのリアルが、インクの匂いを通じて溶け合っていた。

    流行は消費され、紙の雑誌はデジタルへと姿を変えた。
    しかし、あの時代に提示された「ジャンルへの偏愛」という美学は、今もなお、インディペンデントな表現者たちの血肉となっている。
    1990年代、ビデオ・テープのノイズと共に、世界は一度、鮮やかに塗り替えられたのだ。

  • 海外の音楽誌 — Creem・SPIN・Kerrang!・Maximum Rocknroll 他

    海外の音楽誌 — Creem・SPIN・Kerrang!・Maximum Rocknroll 他

    ロックは音楽だけじゃない——文字と写真と怒りが重なって初めて「文化」になる。

    この6誌は、それを証明した。廃刊になったものが多いが、バックナンバーはまだ手に入る。その密度は今のSNSの100倍濃い。

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    廃刊

    Creem(1969–1989)

    Rolling Stoneが体制化したとき、Creemはデトロイトで吠え続けた。

    イギー・ポップ、ルー・リード、キッスを世に広めたロック誌の反骨精神。Lester Bangsの批評は今も読み継がれる。「アメリカ最高のロック雑誌」と断言できる。

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    廃刊(紙)

    SPIN(1985–2012紙版)

    Rolling Stoneが無視したバンドを、SPINは全力で愛した。

    MTVの商業主義への反旗として創刊。ニルヴァーナ、パブリック・エネミー、ソニック・ユースをいち早く特集したグランジ時代の証人。

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    廃刊

    Trouser Press(1974–1984)

    セックス・ピストルズを誰より早くアメリカに届けた誌。

    英国パンク・ニューウェーブをアメリカに橋渡しした専門誌。廃刊後に出した「Trouser Press Record Guide」は今もオルタナロック史の最重要参考書。

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    廃刊

    Maximum Rocknroll(1982–2019)

    「お前も自分でやれ」——37年間それだけを言い続けた。

    商業広告を完全拒否。DIYのバンドと場所だけを紹介し続けた。世界中のパンクスに「ジンを作れ、バンドを始めろ」と鼓舞した聖典。

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    継続中

    Kerrang!(1981–)

    壁にポスターを貼るために買っていた男が世界に何百万人いたか。

    英国最強のロック誌として40年以上生き残り続けている。「ロックは生活態度だ」という一貫した主張が今も揺るぎない。紙版継続中という事実に敬意を表する。

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    廃刊

    Terrorizer(1993–2017)

    「ヘヴィメタルで最も怖い雑誌」——それで全部わかる。

    デスメタル、ブラックメタル、グラインドコアだけを24年間愚直に追い続けた英国専門誌。廃刊は界隈に衝撃を与えた。このジャンルへの入口にして出口。

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  • 海外の映画・文化誌 — Film Threat・VICE

    海外の映画・文化誌 — Film Threat・VICE

    「映画は商品ではなく武器だ」——Film Threatはそれを全ページで証明した。

    ハリウッドに徹底抗戦したインディー誌と、世界の禁断区域に踏み込んだVICE。この2誌の過激さに、今の映像メディアは追いついていない。

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    Film Threat(1985–2012紙版)

    「映画は商品ではなく武器だ」——全ページからそれが滲み出ていた。

    低予算インディー映画、B級ホラー、未公開作品を発掘し続けた。タランティーノが映画マニアだった頃に読んでいた誌。ハリウッドへの徹底抗戦の記録。

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    廃刊(紙)

    VICE(1994–2017紙版)

    「タブーを取材する」——それだけでモントリオールから世界制覇した。

    麻薬カルテル、極右グループ、戦争地帯への潜入取材を平然とやってのけた。紙版の尖り方は今も伝説。初期VICEの号を手にすると、その密度に息を飲む。

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