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スピーカーの前に座り、針を落とす。1977年2月4日、世界はまだ、このアルバムが放つ凄まじい「毒」と「美」に気づいてはいなかった。フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)の通算1圧縮11枚目のスタジオ・アルバム『Rumours』。この一枚を聴くとき、私の耳に飛び込んでくるのは、単なるポップ・メロディではない。それは、血を流しながら、それでもなお完璧なハーモニーを奏でようとする、剥き出しの人間たちの叫びだ。

かつて私は、あるライブハウスの片隅で、このアルバムの「質感」について語り合う年配のエンジニアと出会った。彼は言った。「レコーディング・スタジオは、彼らにとって戦場だった」と。その言葉は、今も私の胸に深く突き刺さっている。なぜなら、『Rumours』が記録したのは、音楽的な達成以上に、人間関係の崩壊という、逃げ場のないドラマそのものだったからだ。

崩壊の淵で紡がれた、史上最も贅沢な「断絶」

1976年、カリフォルニア州ソーサリートのレコード・プラントをはじめ、ロサンゼルスのウォーリー・ハイダー・レコーディング、マイアミのクライテリア・スタジオなど、複数のスタジオを渡り歩きながら、このレコーディングは行われた。しかし、そこに「団結」という言葉は存在しなかった。

当時のバンドの内部状況は、まさに地獄絵図であった。スティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムは、激しい破局の渦中にあった。さらに、クリスティン・マクヴィーとジョン・マクヴィーの離婚も進行していた。ミック・フリートウッドに至っては、私生活での混乱が絶えなかった。メンバー全員が、互いに裏切りと痛みを抱え、同じスタジオにいながら、ほとんど会話を交わさなかったという記録もある。

しかし、皮肉なことに、この極限状態こそが、音楽的な精度を極限まで高めた。プロデューサーのケン・カイヤットは、後年こう回顧している。「あの録音は奇跡だった」(MusicRadar「Rumours track-by-track」より)。薬物と過度のアルコールが蔓延する混沌とした環境下で、彼らは互いの憎しみや悲しみを、音のパーツへと昇華させていったのだ。

ここで一つ、歴史的な誤解を解いておきたい。よく「録音中にミックとスティーヴィーが情事を持った」という説が語られるが、それは不正確だ。スティーヴィー・ニックス自身が証言しているように、二人の関係が深まったのは、アルバムのリリース後、1った1977年のツアー中、具体的にはニュージーランド公演の後であった(Cheatsheet.comより)。録音中にあったのは、情熱ではなく、むしろ決定的な「断絶」であったのだ。

剥き出しの感情が、完璧なポップ・ソングへと変貌する瞬間

このアルバムの凄みは、個人の痛みが、極めて洗練されたポップ・ミュージックへと変換されている点にある。楽曲一つひとつを紐解けば、その凄惨なまでのリアリティが見えてくる。

例えば「Go Your Own Way」を聴いてほしい。これは、リンジー・バッキンガムが、スティーヴィーとの破局という怒りと決別を、攻撃的なビートに乗せて叩きつけた曲だ。一方で、クリスティン・マクヴィーによる「Don’t Stop」は、離婚という悲劇を乗り越えようとする、前向きな意志の表明として機能している。この、対照的な感情の衝突が、アルバムに凄まじいダイナミズムを与えている。

そして、アルバムのクライマックスとも言える「The Chain」だ。この曲は、バンド全員が、互いへの裏切りと、それでも断ち切れない絆について共同で書き上げた楽曲である。ベースラインの重厚なリフが、バラバラになりかけたバンドを、音楽という一点においてのみ、強引に繋ぎ止めている。ミック・フターウッドが「私たちは崩壊しながら、同時に最高傑作を作っていた」(Ultimate Classic Rockより)と語ったのは、まさにこの曲の真理を突いている。

また、アルバムの中でも際立って繊細な「Songbird」については、特筆すべき点がある。この曲のみ、1976年3月3日にUCバークレーのゼルバック・オーディトリアムで収録された。スタジオの人工的な響きを排した、あの純粋な空気感。ケン・カイヤットが「ある日クリスティンがピアノで何かを弾き始めた。それが私を完全に圧倒した」(MusicRadar「Rumours track-by-track」より)と語る通り、その瞬間、スタジオには音楽的な神聖さが宿ったのだ。

数字が証明する、時代を超越した「普遍性」

『Rumours』の成功は、単なる批評家たちの評価に留まらない。その商業的な記録は、音楽史における「異常な」数値を示している。

1977年2月4日のリリース直後から、アルバムは爆発的な勢いでチャートを駆け上がった。全米ビルボード200では最高6位を記録。これは、グループによるアルバムとしては、歴代最多の記録である。イギリスでもチャート1位を記録し、発売からわずか1週間で80万枚という、驚異的な売上を叩き出した。

グラミー賞ではBest Hard Rock Performance部門にノミネートされたが受賞には至らなかった。その影響力は、リリースから数十年を経た今も衰えることがない。2023年2月時点での全世界累計売上は4000万枚を超え、米国内RIAAからは、米国史上第8位の認定枚数となる「ダイヤモンド認定(2000万枚出荷)」を受けている。ローリング・ストーン誌の「史上最高のアルバム500枚(2020年版)」においても、26位という高順位にランクインしている事実は、このアルバムが単なる流行の産物ではないことを証明している。

結論:なぜ今、私たちは『Rumours』を聴くのか

現代の音楽シーンにおいて、これほどまでに「生々しい」感情の記録は稀である。SNSで加工された感情が溢れる今だからこそ、剥き出しの傷跡を隠そうともせず、それを美しい旋律へと変えてしまった彼らの強靭な精神が、私たちの心に響くのだ。

もし、あなたが音楽に、単なる娯楽以上の「真実」を求めているのであれば、『Rumours』を聴くべきだ。それは、崩壊していく人間たちが、最後の一滴まで絞り出した、音楽という名の遺言である。その音の粒、歪み、そして完璧なハーモニーの中に、私たちは、人間が持つ最も美しく、最も残酷な側面を見出すことができるのだ。

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